| 寝かせきりゼロの社会を |
| 日本は短期間に経済大国にのし上がった。それと同時に、寝かせきり大国にもなった。その成因を「我々の社会のあり方」に見いだすことができる。 我々の社会は同一性を重んじる。その社会では、障害者、外国人、少数意見を持った人々を異質なものとして、見事なまでに排除していく。その上、受験時の偏差値に見られるごとく、均一性の中のランク付けの巧みさまでも内在している。このことは、少数派の独創性を切り捨て、平均的にほんの少し優れた集団を作るのに役だってきた。 また、我々の社会は、ものごとをあいまいにし、問題点をはっきりとさせない社会でもある。建前で個々を縛り付け,本音の部分はくすぶり続けさせるが、決して追求、発展させはしない。 上記のことは、意外にも経済発展に有効性をもち、日本型の経済繁栄を我々にもたらした。 寝かせきりゼロの社会は、同一性より多様性を、建て前より本音を重んじる社会である。これを実現するには、二つのしかけが必要である。 障害を持っている人、あるいは持ちつつある人への日常生活における支援は、社会が担うこと(家族は主として精神的支援をすること)、及び女性の社会参加(女性が働きやすくなる社会の実現)にあると考える。 現在までの介護負担(支援)は家族、主として女性(嫁・妻・娘)が担ってきた。それは、閉じた空間の中での仕事であり、その中では介護する側とされる側の距離があまりにも近すぎて、本質が見えなくなってしまうことを、我々医師はよく経験する。即ち必要以上にお世話し過ぎて、本人の自立心を奪ってしまったり、逆に放置されて、その存在すら否定されてしまったりというようなことである。(特に高齢者には、いろいろな人が出入りし、異なった接触を持つほうが、その人の自立を促し、満ち足りた老後も獲得できそうである) また、女性が社会参加することは、女性も家庭内の閉じた空間から開放され、家庭と異なった働く場を持つことになる。男女を問わず生きる空間を多く持つほうがその人を豊かにし、高齢者に対しても豊かな気持ちで接触することができる。また、女性の社会参加は男性の労働時間短縮にもつながり、男性もまた、仕事以外の豊かな場を持てる。 高齢者に豊かな老後を提供することは、何でもしてあげることではなく、「必要なことはするが、必要でないことはしない」ということである。「必要なこと」とは、いったい何なのかを判断することは非常に難しいが、これは福祉の分野での仕事でもある。医療・医師だけが先行せず、いろいろな分野の人たちとチームを組み創造的な仕事をしていきたいものである。その中で、医師は専門性を発揮しながら福祉に包まれた医療を遂行していきたい。 最後に、豊かな社会とは一人ひとりの異なった生きようを認める社会、障害があろうと、病を持っていようと、気兼ねなく社会に位置することのできる社会であると考える。 |
藤原医院 院長 藤原明達 |